ゆっきーの百姓日記

"百のこと"を自ら創造する百姓ライフ。そんな日々を綴ります。

寛容、ということ

昨日、

またしても私たちの暮らす社会で

悲惨な事件が起きてしまった。

 

亡くなった命と、

関係した沢山の人たちに刻まれてしまった、

深い深い悲しみ、

怒り、

恐怖の傷。

どうぞ、

どうぞ悲しみの傷が癒える日が来ますように。

精一杯の祈りを込めて。

 

 

この事件に関して数人と言葉を交わし、

一晩経って自分の中に出てきたのは、

"寛容"

というキーワードだった。

 

 

罪を犯した人を裁くだけでは

根本的な解決にならない。

 

社会に、

悲しみや

孤独や

怒りや

恐怖が広がれば広がる程、

悲惨な事件は繰り返される。

 

 

社会全体に、"寛容さ"が広がること。

(※罪を犯した人を裁く必要がない、という意味ではありません)

 

それはきっと、

根本的解決の大きなチカラになるのではないだろうか。

 

では、

まずは自身が"寛容"になっていく為には??

 

 

真っ先に思い浮かんだ私の"寛容"の大先生は、自然界だった。

 

 

人の営みがどうであろうと、

自然界の生命たちは淡々と

季節の移り変わりと共に生命を繰り返し、

繋げていく。

 

大量生産、

大量消費、

大量廃棄を繰り返し、

他の生命たちの営みを危うくし続ける私たち人間に対しても、

文句を言う事もなく、

それどころか、

無限の恵みを惜しげも無く与え続けてくれている。

見返りを求めることすら無く。

 

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初春の恵み、コゴミの群生。

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梅雨の始まりに実をつける梅。f:id:yukie-ysv:20190529115513j:image

アルコール漬けで薬になるヘビイチゴ

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ドクダミのお花は化粧水の原料に。

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果てし無い時間をかけて循環を繰り返す生命の水。

 

 

人も自然界の一部だということ、

ついつい日々の暮らしでは忘れがち。

 

 

そして人は、

いつだって自然界の他の無数の生命たちの、寛容な営み無しでは生きられないということ、

これもついつい、忘れがち。

 

 

 

どんなところで

どんな暮らしをしていても、

より多くの人が

自然界の寛容さを日々の暮らしの中で

『実感として感じられる』なら。

 

自分の暮らしは、

大いなる寛容さに満たされた暮らしだと実感出来るならば、

きっと、

自分以外への眼差しも

寛容さへと向かっていくのではないだろうか。

 

 

 

その為に私が出来ることは何か。

 

 

自身の日々の実践の中で、

更に追求していきたい。